社会学者の太田省一氏が著した『ニッポン男性アイドル史 一九六〇―二〇一〇年代』(青弓社)は「王子様/不良」、「歌謡曲/ロック」、「作られた存在か否か」、活動拠点は「舞台か、テレビか」といった軸を設定してこの半世紀の日本の男性アイドルの流れを整理していく。そこから見えてくるのは、現代日本社会の変容である。アイドルと日本社会はどこから来て、どこへいくのか――太田氏に訊いた。 【写真】木村拓哉の、圧巻の…!
アイドルが「思春期限定」でなくなったわけ
――かつては若い歌手や俳優が本人の自認としては「歌手」や「ロックミュージシャン」であったとしても世間からは「アイドル」としてみなされ、本人もファンもいつかはアイドルから「卒業」するものだったのが、カテゴリーとして、アイドルという「職業」として独立していくプロセスが『ニッポン男性アイドル史』には書かれていますよね。たしかに今では「アイドルである」ことがアイデンティティになっていて、可能な限り長く続けることを志向するアイドルも少なくありません。いかにしてこうした変化が生じたのでしょうか。 太田 アイドルの歴史においてはテレビとの関わり、特に『スター誕生』(1971年~1983年放送)という番組の存在が大きかった。そこでは主に10代の若い女性が素人からオーディションを経てデビューするまでの過程をドキュメンタリー的に演出することによって、完成したプロの歌手とは異なる「未完成だけれども努力している姿が応援したくなる」という魅力が発見されました。これが今のアイドル文化の出発点となる画期だった。ただ当時は10代の若い歌手に対してファンは擬似恋愛的な感情を持って応援する向きが強かった。そして思春期のいっとき夢中になり、しかし卒業する――アイドルにとっても同様で、20歳くらいになれば「大人の歌手」や「大人の俳優」になっていくのが当たり前でした。 それが平成/90年代になると変わっていきます。大きかったのはSMAPの存在です。彼らはバブルが崩壊した91年にメジャーデビュー。95年に阪神大震災と地下鉄サリン事件があり、同時に「失われた10年」「失われた20年」と呼ばれる長期の経済的な停滞が続いた。そのなかで、SMAPはたとえば『ミュージックステーション』出演時に震災の被災者に対してメッセージを送り、新曲を発表する予定を変更して応援ソング「がんばりましょう」を歌った。つまり、若者の擬似恋愛の対象となるだけでなく、時代に寄り添い、社会との接点を持ちながら活動を続けるという、アイドルとしてのあたらしいかたちを示していった。そしてファンの側も、思春期に親しむ一時的な存在ではなく、大人になり子どもを持ったとしてもファンをやめないようになった。つまり、「人生のパートナー」としてアイドルを捉えるようになっていきました。 ――太田さんはファンが「成長を応援する」のがアイドルである、と定義されていますが、とすると90年代を境に、大人になっても成長し続ける(し続けなければならない)というモデルに社会が移行した、人格的にも能力的にも「完成」することがない不安定な時代に入ったとも言えますよね。 太田 加えて言えば、子どもと大人の境目がわからなくなりました。昭和までは成人式を迎えたら、あるいは就職したら「大人」だろうと思われていたし、本人の内心としては違ったとしても、対外的にはそう振る舞っていたし、そう扱われていた。ところが今や、いつ、どうなったら子どもから大人になったと言えるのかのコンセンサスが共有されなくなっています。アイドルからの卒業年齢の上昇はそういうものの反映とも言えます。
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