『計算する生命』を読んで、私は久しぶりに、ある命題を思い出した。人工知能がいかに発達しても、決して侵すことのできない人間の尊厳とは何か。
著者は、前半、計算によって未来を拓(ひら)いてきた人類の歴史を丁寧にひもといてみせる。概念を記号化し、記号を操ること(計算すること)で概念を押し広げる。人類はそうやって、想像を羽ばたかせ、発展し続けてきたのである。計算する権利は何千年も人類の手中にあり、人類はそれを楽しんできた。それを、著者は、圧倒的な筆力で証明してくれる。
しかし、人工知能を産み出したことで、その様相が一変する。人工知能は勝手に計算するのだ。意味も分からずに、概念を操ることができる。人類の専売特許だった知性を、人工知能は鮮やかに凌駕(りょうが)してしまったのである。
では、人類は、その存在意義を失いかけているのだろうか。本著は、その命題に、しなやかで力強い答えをくれる。
認識とはいのちと概念が交わるところだと、私はかねがね思っている。たとえば、この世のあらゆる言語に「母」というワードがある。ある言語には父と母とをセットで呼ぶワードしかない、ということがない。つまり、ヒトの脳には、母という単位が内在しているのだ。生命維持に関わる大事な一単位だからだろう。食べ物であれ、自然物であれ、認識の一単位は、いのちが決めるのだ。だから、人工知能にそれを教えるのは不可能なのである。人工知能は、ことばという記号でしか、それを知りえない。なのに、計算することはできる。
著者は、人類を「計算と生命の雑種(ハイブリッド)」と呼ぶ。生命のない計算野郎(AI)とは一線を画しているのだとでも言うかのように。
人類の尊厳を知性(計算)に見いだす人たちにとってAIは脅威であろう。しかし、私たちは、いのちでもって認識単位を見破ることができる。計算と生命のハイブリッド。そう考えれば、AIなんて恐るるに足らず。逞(たくま)しく、その先に行けばいい。本著のメッセージは、人類の未来を照らす。AIと共存する時代の人類の必読書と言っていい。(新潮社・1870円)
評・黒川伊保子(脳科学・人工知能研究者)
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