中央省庁等改革が2001年1月に実施されてからちょうど20年がたった。改革は、故橋本龍太郎元首相が心血を注いで成し遂げたものであり、明治維新、第二次世界大戦の敗戦に次ぐ第3の構造改革とも位置付けられている。それでは、改革は果たして成功したと言えるのだろうか。
1996年11月、橋本首相は有識者などで構成される行政改革会議を立ち上げ、自らその会長となって、行政システムの改革の検討を開始し、97年12月、最終報告をまとめた。さらに、98年に中央省庁等改革基本法が制定され、その後各省設置法などの関連法も整備された。そして2001年1月6日、改革は実施され、内閣府や厚生労働省など新しい府省が誕生した。
最終報告は、「従来日本の国民が達成した成果を踏まえつつ、より自由かつ公正な社会の形成を目指して『この国のかたち』の再構築を図る」ことを掲げた。特に、戦後型行政の問題点として「個別事業の利害や制約に拘束された政策企画部門の硬直性、利用者の利便を軽視した非効率な実施部門、不透明で閉鎖的な政策決定過程と政策評価・フィードバック機能の不在、各省庁の縦割りと、自らの所管領域には他省庁の口出しを許さぬという専権的・領土不可侵的所掌システムによる全体調整機能の不全といった問題点」を指摘し、その改革が必要だと訴えた。これは、今読んでも、非常に厳しい指摘である。それほど強い政治的な意志があったのだ。
報告書は1年あまりでまとめられたが、その途中では、組織が改編される各省庁が、関係の議員や業界とともに、改革に反対し中身を骨抜きにしようとした。筆者自身、当時の大蔵省の中で、中央省庁等改革のタスクチームに属しており、この改革に直接かかわったが、当時の霞が関の官僚たちはあからさまに首相や官邸に抵抗していたことを思い出す。大蔵省自身、財政と金融の分離に反対していた。それでも、中央省庁は再編された。
中央省庁改革の評価
中央省庁等改革の主な柱は、①内閣機能の強化②中央省庁の再編③行政機能の減量・効率化等④公務員制度改革――である。特に、これまで省庁の縦割りで総合調整が不十分だったという認識を踏まえ、内閣機能、特に首相の補佐機能の強化に重点が置かれている。…
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