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Tuesday, April 7, 2020

西城秀樹のヴォイス・トレーナーだった大本恭敬さんについて調べてみたのは、何かが始まる予感がしたからだった―(エムオンプレス) - Yahoo!ニュース

西城秀樹は何よりも”声ありき”の歌手であり、突出したヴォーカリストだったと思う。
日本を代表するエンジニアの内沼映二さんが1974年8月に発売された「傷だらけのローラ」について、こんなふうに話していたことがあった。

【連載】佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol.137

彼のあの高音はほかにはちょっとないですね。一種の悪声だと思いますが、それが魅力になっている。ダイナミックレンジが広い、つまり音量の大小の差が大きいから、録音は苦労するほうです。

作・編曲を担当した馬飼野康二さんもまた、バイタリティにあふれる全力投球の歌唱について、将来に期待する気持ちをこのように述べていた。

バックのオーケストラもハードにできるし、やりがいのある歌手です。

ぼくが声そのものの魅力が歌手にとって、いかに大切かということを深く考えさせられたのは、2月13日にNHKホールで中島みゆきの『2020 ラストツアー 結果オーライ』と名付けられたコンサートを体験した時のことだった。

彼女の豊かで伸びやかな歌声と、自在な表現力に感銘を受けたことで、それを可能にする発声法について思いをめぐらせてみたのである。

ヤマハの北海道支店で働いていたスタッフに頼まれて、なかば言いくるめられるようにして受けた東京でのオーディションで、アマチュアだった中島みゆきは自分で作詞作曲した歌を弾き語りで唄ったという。

それを聴いていた審査員風の大人たちから、ありきたりの感想や質問が投げかけられた。彼女はそのときに感じた気持ちを、小説「泣かないで」の中でこんなふうに描いていた。

ムスッとして質問にボソボソ答えていくと、突如、それまでひと言も発しなかった、中央席の白髪の上品そうなおっちゃんが、
「あなたは、…」
としゃべりだした。
他のおっちゃんたちが、さっと身を固くして黙った。
「あなたは、声量もあるし、個性もあるし、オリジナル曲も持っているようで、たいへん、有望だと思います」
「(そりゃ、そうだろ、そうだとも)」
「ただ」
「(なんだよ)」
「今のような歌い方をずっと続けていくと、喉に無理をかける危険があると思いますから、一度、いい先生について正式な発声法を習ったらいいでしょう。はい、ごくろうさま」
「はぁ」
次のかた、次のかたとうながされてスタジオを出た。
(中島みゆき著「泣かないで・女歌」新潮社 23~24ページ)

ここで的確なアドバイスをしてくれた”上品そうなおっちゃん”こそが、ヤマハ音楽振興会を率いる理事長であり、生涯の恩師となった川上源一氏だと思われる。

中島みゆきはまもなく、ヤマハが手配してくれた三重県の志摩半島にある合歓の郷のミュージックキャンプで、ひたすら実践、トレーニングと矯正あるのみのヴォーカルコースを体験することになった。

わずか一か月という短期間のコースだったので、早朝のマラソンから夜の個人レッスンまで、毎日の授業内容はハードなものであった。そして二人の先生の指導も2週間が過ぎるころになると、日を追って厳しくなってきたという。

あれは、気に入らないから意地悪でボロクソに言ってるのとは違うんだぞ、とわかっているつもりでいても、ああもストレートに朝から晩まで文句をつけられると、いい加減、むっとくる日も多い。
今日も午前中いっぱい、腹式呼吸はどうしたビブラートがこうしたと、
「お前は全然、進歩しないじゃないかッ。少しは覚えろよッ!」
と怒鳴られて、我ながらそう思ってたところだから、なおさらなさけけなくて、昼食をとりに山道を登る途中も、しょんぼりだった。
(中島みゆき著「泣かないで・女歌」新潮社 51ページ)

こうした時期を経験した中島みゆきはその年の9月25日、24歳にして「アザミ嬢のララバイ」でデビューを果たしている。

そして同じ年の11月16日に出場した世界歌謡祭では、スケール感のある「時代」を唄って、堂々のグランプリに選ばれたのである。

西城秀樹がライブで「時代」をカバーしていたことを知ったのは、彼が2018年に亡くなった後のことだった。

その音源を聴いたら歌が始まった瞬間に、“ロック衝動”を全開させているヴォーカルに驚かされた。しかも湧き上がる情感を抑えて、途中から繊細な唄い方に移行した技術にも感心した。

そしてデビュー前だけでなく、アイドル歌手として人気が沸騰した後になっても、新曲を出すごとにどう唄えばいいのかと、ヴォイス・トレーニングを行っていたという話を思い出したのである。

日本初のヴォイス・トレーナーだった大本恭敬(たかひろ)さんのインタビュー記事が、自分が保存していた資料の中にあったはずなので調べてみた。

1976年5月10日号の「週刊ミュージックラボ」の表紙に取り上げられていた記事は、レコード業界に新しい位置を確立したヴォイス・トレーナーの仕事を語るという内容だった。

大本さんが音楽業界で最初に認められたのは、1970年にデビューさせた新人の北原ミレイを育てたことに始まっている。

日本の音楽シーンに一石を投じた阿久悠の異色作だった「ざんげの値打ちもない」は、歌謡曲のタブーに挑んだ画期的な楽曲として、後世にまで語り継がれている。

そんな関係にあったので大本さんが作曲した「その時花はアカシアだった」が、B面に収録されていたこともわかってきた。

「ざんげの値打ちもない」がすごく良かったので、僕の曲と橋本淳の詞で作ったやつがB面にくっついちゃって…(笑)。それでもね、ミレイが売れてくれればいいということで、正式にレコード歌手として出したのは彼女が1発目でしたね。

大本さんはそれまでの5年ぐらいは売り込み、売り込みで苦労したと語っていた。しかし「ざんげの値打ちもない」がヒットしてからは、牧葉ユミ、石田ゆり(現なかにし礼夫人)、俳優の黒沢年男を手がけるようになり、ヴォイス・トレーナーとして徐々に認知されてきた。

そこにデビューを控えておた西城秀樹がやって来て、立て続けにシングルをヒットさせたことによって、音楽業界の中で一気に認められていったという。

大本さんはインタビューの中で新人歌手のヴォイス・トレーナーは、音楽を制作するチームの一員であることを真剣に訴えていた。

僕の最大の目的というのは、日本のこれから何年か先まで残っている歌手の大半は大本先生の手がかかってたと言われることで、それが僕の一番の財産だろうとー。そのために今、必死にやろうとー。

今の喜びというのは、手がけた子たちが1人でも健在でいてくれることですね。

その後の実績を見ていくと、確かにその通りだと納得がいくものだった。

そんな大本さんのお嬢さんが父の跡を継いで活躍していることは、西城秀樹ファンの方からツイッターで教えていただいた。

そして京さんのブログを読むと、お父さんと西城秀樹のレッスンの模様が書いてあった。

1971年。
デビュー前から我家での猛レッスンが始まりました。
広島から上京し、当時まだ高校に通っていた少年時代の秀樹さん。
父の厳しいレッスンに、涙したこともあったと、後にインタビューで
答えておられましたが、本当に全身全霊でヴォイストレーニング(R)を
叩き込まれていた姿を覚えています。
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大本さんのレッスンは歌がうまい歌手を目ざすだけでなく、その人が持っている武器をどう生かせばいいのか、それを見つけ出すことが重要だった。

「ヒデキ自身が気づかないと、大きくなれないんだ」「自分を出せ、恥ずかしがらずに出し切れ」と、愛情のこもった指導が続いたという。

3か月のローテーションで次々に新しい楽曲が誕生する前の段階から、音楽制作の現場では優れた才能の持ち主たちが情熱をぶつけ合って準備し、良い作品に仕上げるために努力していたのである。

こういう厳しさを経たうえで成長したからこそ、西城秀樹にはほんとうの実力が身についたのだろう。

そんなふうに考えていると、昨今の暗鬱たる現実の向こうにも必ず、未来への希望が見出せると思えて、いくらか自分にも元気が出てきた。

何か新しいことが始まる予感がしたのは、すでに自分の中で何かが始まったということなのかもしれない。

今はこんなに悲しくて 涙も枯れはてて

もう二度と笑顔には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ

あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ

だから今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

そう、いつも「時代」はまわっているのである。

(注)文中に引用した内沼映二さん、馬飼野康二さん、大本恭敬さんの発言は、いずれも「週刊ミュージックラボ」によるものです。

西城秀樹のヴォイス・トレーナーだった大本恭敬さんについて調べてみたのは、何かが始まる予感がしたからだった―は、WHAT's IN? tokyoへ。

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