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Friday, November 12, 2021

【UWFとは何か】<7>1984年のテロリスト - スポーツ報知

 ベストセラーになった「1984年のUWF」(2017年、柳澤健著、文藝春秋)にも書かれていないUWFにつながるプロレス史がある。

 1984年2月3日、札幌中島体育センター。新日本プロレスの新春黄金シリーズ恒例の札幌巡業で事件は起きた。この時期は「さっぽろ雪まつり」でにぎわい、雪の札幌大会はお祭りムードで盛り上がる大会のはずだった。

 当時の名物カード、藤波辰巳(現辰爾)と長州力のWWF(現WWE)インターナショナルヘビー級選手権が初めて札幌で組まれた。その選手入場の花道で長州を襲撃し流血させ、試合をぶち壊したのが、藤原喜明だった。道場では“関節技の鬼”として前田日明の師匠でありながら、リングではスポットライトが当たらず、前座に甘んじていた男。

 この“雪の札幌、長州襲撃事件”は、テレビ朝日系「ワールドプロレスリング」で金曜夜8時に生中継され、藤原は“テロリスト”、“問答無用の仕事師”として、長州力率いる維新軍団と血みどろの抗争を繰り広げる欠かせないキャラクターとなった。師匠のアントニオ猪木と組むことでメインイベントにも登場した。「前田は、いつの間にかスターになったな。俺の顔が悪いのかな」とぼやいていた男にようやく訪れた春。2、3、4月は毎週のようにテレビマッチに登場した。

 テロについては自伝でもほとんど語っていない藤原はこうぽつりと言った。「あれは俺の人生を左右したものすごい出来事。人生、チャンスは1回あればいい方で、2回はないから」

 新春黄金シリーズ最終戦の2月9日、大阪府立体育会館大会。猪木、前田、藤原という初のトリオを結成して、長州、アニマル浜口、谷津嘉章組と6人タッグマッチで対戦。お決まりのように藤原は流血し、維新軍にいたぶられる“やられの美学”。10分12秒、レフェリーストップで負けたものの、前田よりも猪木よりも大きい満場の「フジワラ」コールを浴びた。

 この試合を最後に前田は姿を消し、新団体ユニバーサル・プロレス(UWF)に移籍することになる。翌ビッグファイト・シリーズでは、前田が抜けた穴を埋めるように、藤原にビッグマッチのチャンスが舞い込んだ。例えば、3月21日の大阪城ホール初進出。新設会場のプロレス興行こけら落とし大会で、長州力と前田の夢のシングルマッチが組まれていたが、ポスターに写真すら載っていなかった藤原が代役を務めた。表舞台でも藤原は前田と同格になっていた。そして藤原は“裏切り者”の前田を追ってUWF旗揚げシリーズに“殴り込み”をかけるのだった。(酒井 隆之)=つづく、敬称略=

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