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Saturday, January 9, 2021

大分市萩原ゆかりの岡藩主を人形に 神社総代会などが制作 - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate - 大分合同新聞

中川久盛公の座像(中央奥)を制作した宮総代会の利光実会長(中央前)と表題文字を書いた竹田高書道部の若杉未来部長(右)、玉田真侑子さん=大分市萩原の萩原天神社

中川久盛公の座像(中央奥)を制作した宮総代会の利光実会長(中央前)と表題文字を書いた竹田高書道部の若杉未来部長(右)、玉田真侑子さん=大分市萩原の萩原天神社

 【大分】大分市萩原にある萩原天神社の宮総代会(利光実会長)と萩原伝統文化保存継承委員会(高山晴彦会長)は、江戸時代の岡藩2代目藩主、中川久盛公の人形(高さ約1メートル)を制作した。久盛公は萩原を参勤交代の港町として整備したゆかりの人物。「船着き場が萩原に決まった」と発表する場面を表現した。看板の表題文字は、岡藩藩校の流れをくむ竹田高の書道部に依頼した。
 萩原伝統文化保存継承委員会によると、1601年に当時の萩原村が岡藩の飛び地になり、16年に久盛公が船着き場(参勤交代の出入り港地)を今津留から萩原に移した。23年に徳川家康の孫、松平忠直が萩原に配流(はいる)されるまでの22年間、岡藩の領地だった。
 人形は昨年8月に福岡県の彫刻家に制作を依頼し、同12月に完成した。久盛公が「御船着(ふなつき)萩原相成(あいなり)」と書かれた掛け軸を掲げる座像で、カーボンファイバーの素材で造形、彩色した。
 人形の隣に飾る表題文字の看板(高さ約80センチ)は今月中に完成する予定。「萩原町割」「第二代岡藩主中川久盛公」の2種類の書を、書道部の若杉未来(みく)部長(17)と部員の玉田真侑子(まゆこ)さん(17)=いずれも2年=が力強く書いた。2人は「岡藩と萩原のつながりを知らず、驚いた。文字を受け持つことができてうれしい」。
 この年末年始に同神社で人形が初公開され、境内には書道部員の作品約30枚が飾られた。部員は御朱印のもととなる字も担当し、「萩原の皆さんの役に立てて光栄」と顧問の有馬史織教諭(28)。
 人形が次に公開されるのは8月の御祭礼となる。利光会長(65)は「人形によって萩原の歴史に光を当て、後世に伝えたい。竹田との交流のきっかけにもなれば」と話している。

※この記事は、1月10日 大分合同新聞 9ページに掲載されています。

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