岡山後楽園(岡山市北区)で藩主が楽しんだ料理の調理方法などを県郷土文化財団などが解き明かし、レシピ集を作成している。タイトルは「岡山後楽園 殿様の
岡山後楽園は約300年前、岡山藩2代藩主・池田綱政の命で整備された。岡山城とは旭川を挟んで対岸にあり、殿様が食事をしながら息抜きをする場などとして使われた。江戸時代は「
同財団の万城あき・主任研究員らが留帳を読み解くなどして、殿様が食べた料理41品を抽出した。料理が出た場面や、食べた時の反応なども書き記した。
ばら寿司に細かな注文をつけたのは8代藩主の慶政。1855年(安政2年)3月、「玉子は厚く、
時は黒船来航の2年後。海防が喫緊の課題で、岡山藩は安房(千葉県)の警備を担当し、そのための軍事調練を御後園内外で行っていたという。その際に用意された弁当がばら寿司だったこともあり、万城主任研究員は「慶政はかなり好きだったようだ」と話す。
7代藩主の
レシピ集には、湯がいた空豆を裏ごしし、砂糖や塩と共に冷やし固めた「空豆
斉敏は昼食のカモ肉入り茶わん蒸しを気に入ったようで、33年(天保4年)、「おいしかった」と料理の担当者らに伝えるように指示したと記録されている。とろみをつけた汁物「のっぺい」にそばやかまぼこを入れた一品も好みだったようで、39年(天保10年)の記事には「御好み のつぺい」と明記されていた。
藩士に料理が振る舞われた記録も残っており、4代藩主・宗政は1758年(宝暦8年)、参勤交代で江戸に出立する前に湯通ししたボラと豆腐が入ったみそ汁を役人らに振る舞った。翌年無事に帰国すると、ヒラメやキクラゲ、大根などが入ったなますが祝儀として出た。酒も振る舞われ、藩士も殿様の帰還を祝ったとみられる。
18世紀末頃からは、経済力をつけた岡山の町人に料理を振る舞った記録が出始め、殿様の義理の姉などが御後園を訪れ、藩主と同じような待遇でくつろいだという記録もある。万城主任研究員は「御後園は息抜きの場。だからこそ、殿様の好物など人間らしい一面が記録に残っており、家臣や家族とのつながりを見つけることもできる」と話す。レシピ集は11月中旬に完成する予定。
からの記事と詳細 ( 後楽園の殿様料理を再現…8代藩主・慶政はばら寿司に細かく注文 ... - 読売新聞オンライン )
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