四国中央部の水源から四国山地を横断し、徳島を西から東へ流れる吉野川。日本有数の大河川として水運技術が発展し、流域ではさまざまなものづくりが生まれました。吉野川河口から上流の美馬市脇町まで。現代のつくり手に会いに、奇跡の川をたどります。
【井上味噌醤油】
風土そのものが味
麹菌のご機嫌をとったり
職人さんによい仕事をしてもらったり
味噌の環境づくりが僕の仕事です
旅の始まりは、吉野川が紀伊水道へ流れ込む岡崎港。内海のすぐそばに、〈井上味噌醤油〉はある。創業1875年。150年近く変わらない手仕事による味噌づくりで、フランスのシェフも愛用する生味噌があると聞いてきた。
7代目になる井上雅史さんは「ここには味噌づくりに必要な大豆、塩、米が揃う環境があります」と言う。吉野川流域では藍の染料になる蓼藍栽培が有名だが、その間作として栽培されたのが阿波白目大豆だった。加えて鳴門は塩づくりが盛んで、徳島平野の米もあり、当然水も豊富。
味噌づくりの根幹となる麹室での「手入れ」作業を見せてもらった。もろぶたという木箱をつかって麹菌を40時間かけて生育させるのだが、成長を促すために適宜混ぜる。手で麹菌の「息吹を感じ」ながら、麹菌の成長具合で混ぜ方や回数を変えるというから、微細な感覚が必要だ。麹菌が十分な酵素をつくったら塩を加えて生育を停止。これと茹でた大豆を木樽に入れ、1年をへて味噌になる。
もろぶたや木樽は年季の入ったものが特徴ある味噌づくりに向く。菌が宿り、発酵が進みやすくなるからだ。しかし昔ながらの製樽職人は全国でも少なく、数年前に井上さんは徳島の〈司製樽〉湯浅啓示さんに相談した。
「5年待つから地元の杉で木樽を1本つくってほしい」と。苦心の末に2015年に樽が1本仕上がり、2023年2月には阪神淡路大震災で失った土壁の醸造蔵も再建し、本来の味噌づくりの環境が整った。
天然醸造を追求する井上さんだが、「僕の仕事は味噌の環境づくりでしかないんです」と軽やか。いただいた味噌は、風土の味そのものだった。
鳴門市撫養町岡崎字二等道路西113
☎088-686-3251
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