政治学者・中島岳志氏に聞く
2021年1月7日 午後5時00分福井県は自民党が強い「保守王国」とされている。そもそも保守の本質とは何か。政治思想的に、政党の位置付けとは。そして低投票率傾向が続く中、私たち主権者は政治との距離をどう縮めたらよいか。政治学者の中島岳志氏(東京工業大教授)に聞いた。
近代保守思想とは何か。その起源は1789年に勃発したフランス革命への疑義にあります。英国の政治家エドマンド・バーク(1729~97年)は人間観がおかしいと言ったのです。
フランス革命を主導した啓蒙主義者、いわゆる左派は理性を間違いのない万能なものと考えました。特定のエリートが理性的に作った設計図に基づき革命を行えば、やがて世の中はクライマックスに到達し、進歩した社会を生きることができるとの思想が根底にあったのです。
でも人間は不完全な生き物です。どれほど優れた能力の持ち主でも間違えるし、世界のすべてを正しく把握することなどできやしません。エゴイズムやねたみも潜んでいます。私たちの社会は間違いだらけの人間で構成されているのです。
なのでバークは革命のような抜本的改革は理性への過信だといさめます。そして漸進的改革が重要と説きます。特定の人間の理性に頼るのではなく、無名の人たちによって蓄積され、歴史の風雪に耐えてきた良識や経験知、伝統を大切にする。一方で世の中は変わっていきます。かつては素晴らしかった制度でもそのままでは意味を成さない。大切なものを守るには少しずつ変わらなければなりません。これがバークの言う「保守するための改革」です。例えば何百年も続いている老舗の和菓子屋さんは、伝統の製法を大切にしながら時代に合った味にちょっとずつ変えている。つまり保守とは永遠の微調整なのです。
保守は右翼ではありません。右翼は過去の理想化された世界への回帰を重視しますが、保守はその考え方を採用しません。昔の人も不完全だったからです。昔には昔の問題があった。同じ論点で進歩も取らない。未来の人間も不完全だからです。
懐疑的なまなざしは自身にも向けられます。自分だって完全ではないからです。そこで始まるのが他者との対話です。異なる主張に耳を傾けようと保守はまず考えます。虫酸(むしず)が走るかもしれないけど、相手の思想信条にも一理がある。自分の見解を修正しながら相手と合意形成を図る。これが保守本流です。
かつて自民党はそうでした。田中角栄氏、大平正芳氏…。自民党が輩出した歴代首相は野党を足蹴(あしげ)にせず、国民の苦しみと受け止めて政策に取り込みました。首相としては小渕恵三氏が日本の古き良き保守政治家の最後だったと思います。その後、森喜朗政権を経て小泉純一郎政権で構造改革に突き進みます。
政治は内政面で大きく二つの仕事をしています。著書「自民党」で「リスクを巡る仕事」を縦軸、「価値を巡る仕事」を横軸にして政治家を分析しました。図はそのマトリクスです。
まず「リスクを巡る仕事」を見てみましょう。私たちは生きている以上、リスクに直面します。もしかすると明日、仕事ができなくなるかもしれません。リスクの社会化(上側)とは、社会全体でさまざまなリスクに対応すべきと考える立場です。税金が高い代わりに行政サービスも充実しているというあり方です。一方で、リスクの個人化(下側)は個人でさまざまなリスクに対応することを基本とする立場です。自己責任型の社会で、税金は安いけど行政サービスも小さいという考え方です。
「価値を巡る仕事」は、例えば選択的夫婦別姓やLGBTの婚姻の権利を認めるかどうかなどがあります。リベラル(左側)の反対の概念は権威主義的、父権制的なパターナル(右側)になります。権力を持つ者が個人の価値観の問題に介入や干渉をする立場です。一般的には、リベラルの反対は保守と捉えられていますが、多様性に寛容なリベラルと相手の意見を尊重する保守には親和性があり、対立の概念にはなりません。
自民党総裁の菅義偉首相は4のゾーンに位置します。安倍晋三前首相も4でしたが、力点が違う。安倍氏は横軸の「価値を巡る仕事」に重点を置いた。イデオロギーの政治家なんです。一方、菅氏の関心事は縦軸の「リスクを巡る仕事」です。自助を強く打ち出しているのは「たたき上げ」が関係していると思います。苦労人だから弱者や地方に優しいのではというのは逆で、自分の努力でここまでの地位を築き上げてきた自負心が強い。自己責任論を強調するのが菅氏のようなタイプです。
日本学術会議の会員候補の任命拒否を巡っても、その理由をはっきり言わない。菅氏は著書「政治家の覚悟」で、相手に勘ぐらせることこそ、権力が最大の効果を発揮するとの認識を記している。極めてパターナルな性質を持っている菅自民党を保守と見なすことはできません。
アベノミクスは成功したとされているのに、生活は良くならない。かといって2のゾーンに政権交代可能な船が見当たらない。それが支持率に如実に表れています。政権批判も大事だけど、世界観を提示することが重要です。
ドイツの哲学者イマヌエル・カント(1724~1804年)は、理念は二重になっていると言います。まず統整的理念があり、これは人類が永遠に到達しえないような理念です。例えば絶対平和は人間が不完全な生き物である以上、戦争や暴力の一切ない世の中は不可能な命題です。もう一つが構成的理念です。これはマニフェストのような実現可能な理念です。
構成的理念の成立には統整的理念が必要という、この二段階性が重要なのだとカントは考えます。例えば軍縮協議は絶対平和や核兵器のない世界という統整的理念が共有されていないと、「3%削減」といった構成的理念の話ができない。今、世の中は統整的理念を「お花畑」みたいな言い方で否定します。それは無理だろうと。でも無理だから意味があるというのがカントの主張です。
政策は作れるでしょう。でも人は世界観に感動する。任せてみようと。その意味で野党第1党の立憲民主党は、もう一つの希望ある船を準備できていません。2のゾーンの野党をくくる大きなビジョンが必要です。
国政選挙や地方選挙の低投票率が課題となっています。ですが「大切な一票を投じよう」と呼び掛けるだけでは解決しません。投票も重要だけど、それ以外にも政治の場面は身の回りにいっぱいある。その領域を拡大しないと投票にはつながりません。
熟議デモクラシーという考え方があります。民主主義の原点は、異なる他者と日常生活の中で議論しながら合意形成を図ることです。フランスの思想家アレクシ・ド・トクヴィル(1805~59年)は民主主義の教科書と言われている「アメリカのデモクラシー」という著書で、一番大切なのは中間領域だと説いています。それは行政と個人の間にあるものです。トクヴィルの時代は教会がそうでした。今、私たちもどこかで他者と出会い、調整をしています。町内会やマンションの組合だってそう。いろんなところにある中間領域が分厚い社会こそ、民主主義がうまくいくというのがトクヴィルの考え方です。
つまり中間領域がやせ細っているから、民主主義が弱体化しているのです。多くの人は自分の地域がどう運営されているのか、議会がいつ開かれ、何を議論しているのか知りません。地方分権で重視すべきなのは中間領域の再生です。身近な政治にアクセスとコミットできるルートをそれぞれの自治体でつくり、考えるための時間的余裕と精神的なゆとりを生活に持たせる。その集大成が投票なのです。
■中島岳志氏(なかじま・たけし) 1975年大阪府生まれ。京都大大学院博士課程修了。北海道大大学院准教授を経て東京工業大リベラルアーツ研究教育院教授。専門は近代日本政治思想、南アジア地域研究。「中村屋のボース」で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞。「保守と立憲」「自民党」「親鸞と日本主義」など著書多数。
からの記事と詳細 ( 保守王国福井を考える…保守とは何か - 福井新聞 )
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