
ラトビアでアシスタントコーチとして活動しながら、UEFAライセンス取得を目指す中野遼太郎氏。今回は、かつて南野拓実らが在籍したザルツブルク(オーストリア)が持つアカデミー施設に訪れた“スタディートリップ”のエピソードを寄稿してもらった。滞在した2週間で目撃した世界トップレベルの施設で行われる指導とは、そして日本サッカー界が向き合っていくべき指導者ライセンスの課題にも言及した。 【写真】現地CL観戦!ザルツブルクの監督は33歳…立ち姿もカッコいいマティアス・ヤイスレとは何者か? 7番のバスに揺られ、終着駅に着いた。エンブレムをつけた青年たちは、全部で18人。それぞれに大きな荷物を抱えて、続々と降車していく。 彼らのほとんどは駐輪場に停めてある自転車に乗り換えて走り出し、すぐに見えなくなってしまった。まだ近くにいるのは、小学生と思われる4人組だけだ。 僕は彼らを道案内役に見定めて、その少し後ろを歩く。ペラペラと愉快に会話しながら歩く彼らの後ろを、よそ見もせず一心不乱に歩いているはずなのに、その距離は少しずつ離されていく。四人揃ってどういう歩幅をしているのだろう。あるいは僕の歩幅が短いのか。きっと両方だろう。 湖を横手に小道を10分ほど歩き、木々の先で川を渡り、馬舎の匂いを通り過ぎたところで、突然視界が開ける。そこに広がっていたのは『要塞』だった。綺麗に整備されたサッカーコートが、全部で7面。その莫大な土地の中心には、横たわるようにクラブハウスがそびえ立っている。「横たわって」いるのに「そびえ立って」いるように感じるのだから、その迫力を描写するのは簡単ではない。エンブレムをつけた青年たちは、その『要塞』に次々と吸い込まれていく。
育成“だけ”のために作られた施設
オーストリア、ザルツブルク。 南野拓実選手、奥川雅也選手が所属していたことで馴染みのあるレッドブル・ザルツブルクのアカデミー施設に見学に来た。そう、この要塞はアカデミーの選手の育成「だけ」のために作られた施設なのだ。トップチームの練習場は別にあるのだというのだから、その規模に圧倒される。横たわる(そしてそびえ立つ)クラブハウスの入り口には、牛が頭を突き合わせたお馴染みのレッドブルマークが大きく刻印されている。 傾斜から見下ろすように作られたピッチでは、U18が試合をしていた。どう見ても僕よりも歩幅の長い青年たちが、そのストライドを存分に使って突進している。この「突進している」というのは比喩ではない。彼らは字義通り、突進しているのだ。 クラブハウスに刻印されたレッドブルマークも、ユニホームのエンブレムに描かれたレッドブルマークも、おそらく必要ない。あの構図(2頭の牛が頭を突き合わせている姿)は、改めて提示されるまでもなく、選手によってピッチ上で繰り広げられている。彼らはボールに突進し、ゴールに突進し、勝利に突進している。 やがて相手チームは覇気を奪われ、60分過ぎで勝敗は決した。それでも残りの30分間、彼らは突進することをやめない。ボールに突進し、ゴールに突進している。それは、この試合の勝敗とは別に大切にしているものがあることを、全身で表明しているように見える。 レッドブル・グループのサッカー哲学の1つに『ピッチ上の全員が同じユニフォームを着ていても、どの11人が自分たちの選手か分かる』というものがある。 これは哲学や理想が口から語られるだけではなく、ピッチで体現されるものとして浸透していないと成し遂げられるものではない。そしてそれは、この要塞の傾斜下でひっそり行われているアカデミーの試合一つをとっても、(少なくとも僕の目には)成し遂げられているように見えた。 レッドブル・グループには「レッドブルのサッカー」というものが存在する。根幹にはスポーツディレクターとして礎を築いたラフル・ラングニックの哲学があり、その明確なアイディアを原理として、それぞれの地域、チーム、指導者が各地で発展させている。 その戦術的詳細は他に譲るが、この「自分たちのサッカー」というフレーズは、こと日本においては盲目的な信仰、あるいは一種のアレルギーを生んでいるように思う。細部に徹底的にこだわる国民性も手伝って、手段の目的化(つまり自分たちのやりたいサッカーを遂行すること『それ自体が』目的になってしまうこと)に帰結する事例が多いからかもしれない。
からの記事と詳細 ( 「自分たちのサッカー」とは何か? 「指導者ライセンス」に“代表経験”は関係あるか? 躍進ザルツブルクのアカデミーで得た知見(Number Web) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ )
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