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Sunday, June 20, 2021

伝統校から高級ホテルへ おしゃれと司法の街「大名」のルーツ - 西日本新聞

「天神の過去と今をつなぐ」(4)大名小学校跡地

 福岡市・天神に隣接する「旧大名小学校跡地」は、大規模な再開発促進事業「天神ビッグバン」の西側ゲートとして、重要な役割を担っていきます。九州初の「ザ・リッツ・カールトン ホテル」などが入る25階建ての複合ビルを積水ハウスなどが建設中で、開業予定は2022年度。アーキビスト・益田啓一郎さんが、旧大名小周辺の歴史を江戸時代から振り返ります。

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 旧大名町と紺屋町堀

 現在の「明治通り」沿いに当たる旧大名町は、藩政時代に福岡藩の重臣が暮らした町。大名小の区画は、当時の武士階級の一つ、大組筆頭の河村五大夫の屋敷跡地だという。

 現在の「赤坂門」バス停そばで、1873(明治6)年に開校した大名小(開校当時の名称は大明小)が、今の跡地に新築移転したのは日清戦争があった1894(明治27)年。以来、福岡市内随一の名門校として、2014(平成26)年に閉校(舞鶴小・中学校に統合)となるまで、あまたの優秀な卒業生を輩出、地域のシンボルでもあった。卒業生には、戦前の総理大臣経験者、広田弘毅や福岡市長だった進藤一馬らがいる。

(左)1954(昭和29)年当時の大名小正門と校舎(右)大名小時代の門柱が残る「福岡グロースネクスト」の入り口=2020年11月

 現存する校舎は1929(昭和4)年に完成。戦前に造られた鉄筋コンクリート建築様式を知ることができる、都心に残る貴重な近代建築だ。2017(平成29)年からは、スタートアップ(創業)支援施設「福岡グロースネクスト」として有効活用されている。

 大名小の南側は、土手町(どてのちょう)という町名で、福岡城の東側からつながる紺屋町堀(中堀)が東西に走り、東は肥前堀を経由して薬院新川へつながっていた。明治維新後、1878(明治11)年からは紺屋町堀(中堀)と肥前堀で福岡県がレンコンの栽培を始めたという記録もある。

1910(明治43)年の福岡市街図(一部)。大名小の南側には紺屋町堀(中堀)がある。中央右の黄色い一帯は警固神社

 堀の南端から今の国体道路までのエリア(紺屋町、薬院町など)は、医師や職人にちなむ旧町名が多かった。堀の南側にあった町が、現在は大名1丁目、堀を含めた北側一帯が大名2丁目である。紺屋町堀は今から100年ほど前、大正10年代に埋め立てられた。堀だった区画は今も、周囲よりも1メートル前後土地が低い。1925(大正14)年8月、「米国カウボーイ団」来福時の絵はがきセットには、「福岡市土手町埋め立て地」の書き込みがあり、埋め立て直後の広場での開催がうかがえる。

紺屋町堀の埋立地を訪れた「米国カウボーイ団」(絵はがきから)

 大名地区の明治・大正・昭和

 明治維新後、現在の大名2丁目には、官庁が相次いで進出した。

 大名小の西隣、旧土手町には1910(明治43)年頃に、福岡鉱山監督署が馬場新町(博多区祇園町付近)から新築移転。前後して炭鉱経営者が大名地区や隣接する天神地区(明治通り沿い)に本宅や別邸を構えた。跡地は戦後、博多駅東に合同庁舎が完成するまで、旧建設省九州地方建設局が置かれた。

1910(明治43)年、新築移転した福岡鉱山監督署

 現在の中央区役所の場所には1888(明治21)年、福岡地方裁判所ができた。その南側、旧土手町側には、区裁判所や拘置所が置かれ、一帯は司法の町に。検事公舎をはじめとする司法関係者、弁護士や行政書士などが事務所を構えた。戦後、裁判所は福岡城内へ移り、跡地には区役所や貯金支局のビルが建設された。

(左)福岡地方裁判所=1961年と(右)翌年に開校を控えた福岡高等理容学校=1950年

 戦後、紺屋町堀の埋立地や周辺には、民家や旅館に加え、職業安定所や歯科医師会館などができ、1951(昭26)年には、「福岡高等理容学校(現・福岡理容美容専門学校)」も開校した。1990年代以降、理美容院の激戦区である福岡市の中でも、大名地区はその中心。流行に敏感な若者が集う大名地区の発端が同校の存在であろう。

 再開発施設の役割と大名町教会

 1910(明治43)年、旧大名町に当たる現在の明治通りに福博電気軌道が開通すると、それまで福岡城下のメインストリートであった福岡六町筋(旧唐津街道、現在の昭和通り北側)から商店が進出。閑静な屋敷町は次第ににぎやかとなる。西鉄グランドホテルの前の旧万町交差点そばに「万町」、中央区役所前の交差点に「大名町」と名を冠した電停が置かれた。

1954(昭和29)年の万町。右奥がカトリック大名町教会天主堂、右端は1938(昭和13)年に建設された新聖堂

 通りの北側に、カトリック大名町教会ができたのは1895(明治28)年。高さ11・5メートルの赤れんが建築の聖堂は、高い建物のなかった当時から目立つ存在だったという。福博電気軌道の敷設の際、藩政時代の城下町の名残で、万町の急カーブをなくすために、教会に立ち退き協力を要請。こうした曲折があったものの、当時の建物は無事に戦災を乗り越えた。聖堂の建物は1984(昭和59)年末に解体され、1986(昭和61)年3月に久留米市の聖マリア病院敷地内へ復元移築されて「雪の聖母聖堂」となった。

 西鉄グランドホテルが立つ場所にはかつて、西日本鉄道本社があった。隣接する大名小の校庭では毎年、西鉄による「交通安全移動教室」が開かれ、その様子を記録した写真群が西鉄のウェブサイト「にしてつWEBミュージアム」にて公開されている。校庭からは、大名町教会をはじめ、消防分団や青少年センターなど周囲の建物や施設も見えており、当時の風景を記録した貴重な写真群である。

1971(昭和46)年頃の交通安全移動教室

 再開発が進む大名小跡地の複合施設には、「ザ・リッツ・カールトン」やオフィスフロアに加え、街区にあった公民館、消防分団なども入る予定だ。隣接の「福岡グロースネクスト」や完成する新施設が、福岡の都市機能の強化にどのような役割を果たすのか、今から楽しみである。(敬称略)

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 益田啓一郎(ますだ・けいいちろう) 1966年大分県生まれ。ゼンリン子会社を経て2000年に独立後、社史・地域史の執筆、編集に携わりながら10万点超の古写真と絵はがきを収集してきた。近年では西日本鉄道(福岡市)創立110周年史の執筆、「にしてつWebミュージアム」を監修してきた。博多・冷泉地区まちづくり戦後史、博多祇園山笠「西流五十周年史」など、地域の近現代史の記録活動も継続。NHKのテレビ番組「ブラタモリ」や、地元テレビ局、映画、舞台などの時代考証や企画、監修も担ってきた。著書に「ふくおか絵葉書浪漫」「伝説の西鉄ライオンズ」など。

1970年に刊行された絵はがきセットの表紙。中央手前右に西鉄グランドホテル、その右側に大名小が見える

 次世代の姿へ生まれ変わりつつある福岡市の中心部、天神地区。新たな都市空間と雇用を生み出す福岡市の「天神ビッグバン」プロジェクトがきっかけです。福岡をはじめ九州各地の「街」に関する膨大な資料を収集し、その近現代史を研究し続けているアーキビストの益田啓一郎さん(54)=福岡市=が、再開発エリアの過去と今をつなぐ歴史解説へ、皆さんをご案内します。 ※アーキビスト(Archivist)=文化、産業的な価値ある資料を集め、それらを意義付けしながら活用する人材。

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