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Wednesday, July 1, 2020

「ベルトーネ・ジャガー・ピラーナ」 ― ランボルギーニのデザインにも転用された伝説のコンセプトカー(MEN'S CLUB) - Yahoo!ニュース

 Jaguar Pirana by Bertone(ジャガー「ピナーラ」・バイ・ベルトーネ)、 「ベルトーネ・ジャガー・ピラーナ」とも呼ばれるこのクルマのベースは、ジャガー「Eタイプ」。そしてボディデザインは、イタリアで1912年に創業したカロッツェリアとして自動車のデザインや試作を行う「カロッツェリア・ベルトーネ」に委ねられ完成したクルマになります。

伝説が生み出された経緯

 今日では、まずあり得ない話かもしれません。  1967年、イギリスの日刊紙「デイリー・テレグラフ」の自動車担当の記者たちは、同紙オリジナルのコンセプトカーを開発しようと計画し、そのスタイリングをイタリアのカロッツェリアで活躍する名匠ヌッチオ・ベルトーネ氏に依頼。そして本体となるメカニカルパーツは、母国の名門ジャガーから提供してもらうことに。  そうして生み出されたジャガー「ピラーナ」は、同年ロンドンで開かれたアールズコート・モーターショーで華々しく披露されると、世界的な注目の的となりました。しかし、なんとその翌年の1968年、これと瓜二つのデザインのクルマがランボルギーニより発表されることとなったのでした…。

一体なにが起こったのか、ジャガー・ピラーナの辿った数奇な歴史を追ってみましょう。

 「デイリー・テレグラフ」紙の自動車担当記者ジョン・アンツィー氏が目指したのは、イギリス自動車産業の結晶と呼ぶにふさわしい1台でした。  ジャガーの創業者であり、イギリスの叙勲制度における栄誉称号のひとつでナイト(騎士)に由来する勲位「Sir」の称号を持つサー・ウィリアム・ライオンズ氏は、その呼びかけに応じ、ジャガー「Eタイプ2+2」のシャシーとエンジンを提供することに合意します。  夢のジャガーを仕上げるべく、アンツィー氏が白羽の矢を立てたのはイギリス人デザイナーではなく、イタリアのカロッツェリアである「ベルトーネ」だったのです。  その依頼を受けたベルトーネ氏は、カロッツェリア「ベルトーネ」の中でも有望な若手デザイナーであったマルチェロ・ガンディーニ氏に、その大任を委ねます。そうして半年後、伝説のジャガーがついに完成することになったわけです。

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